「仕組みを持つということ──時間と価値の哲学」

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働くということは、時間をお金に換える行為だと言われる。 確かに、時給や月給という仕組みは、私たちの「有限な時間」を切り売りすることで成り立っている。 でも、ふと思う。 その時間をいくら高く売ったところで、限界はあるのではないか。 たとえ一日24時間あったとしても、働けるのはせいぜい10時間前後。 時間の限界が、貯蓄の限界になるのではないか——そんな気がしてくる。

一方で、お金持ちになる人は「時間」ではなく「仕組み」を売っているように見える。 誰かの問題を解決する仕組み。 価値を提供し続ける仕組み。 自分が眠っている間にも、誰かの役に立ち、感謝される仕組み。 それこそが、資本主義の本質なのかもしれない。

働くとは、誰かの仕組みに自分の時間を差し出すこと。 でも、もし自分自身が仕組みを持てたなら—— その瞬間から、時間の制約から少しだけ自由になれる気がする。 時間の制約から解き放たれたとき、資産の上限もまた、静かに外れていくのかもしれない。

とはいえ、その「仕組み」がどうしても思い浮かばないのだ。 身の丈に合った、等身大のものでいい。 どんなに小さなスキルでも、それを喉から手が出るほど欲しがっている人がいる——そう聞いたことがある。 でも、果たして自分にそんな価値があるのだろうか。 そう考えると、少し足がすくむ。

株式への投資は、経営の上手な人に自分の資本を託し、 その人たちが世の中へ価値を届ける手助けをすることだと思っている。 それは、間接的ではあるけれど、確かに「価値の提供」なのかもしれない。 自分が直接動かなくても、資本が働き、社会に貢献してくれる。 それもまた、ひとつの「仕組み」なのだろう。

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