
先日、高尾山に行ってきた。 山の入口に鳥居が立っているのを見て、最初は不思議に思った。 しかし調べてみると、高尾山は古くから神道と仏教が溶け合った“神仏習合”の山だという。
どうりで、お経が流れ、しめ縄があり、寺院なのに鳥居がある——そんな不思議な風景が自然に共存しているわけだ。
もし日本に仏教ではなく、キリスト教が深く入り込んでいたら、この国の宗教観も文化も、今とはまったく違う姿になっていたかもしれない。 そう思うと、豊臣秀吉や江戸幕府が行った禁教政策は、良し悪しではなく、今日につながる“歴史の連続性”そのものなのだと感じる。
次に高尾山を訪れるときは、もう少し下調べをして、この山に流れる“混ざり合う文化”を味わいたいと思った。
歴史の連続性は、金融の世界にも同じように流れている。 世界恐慌、アジア通貨危機、リーマンショック——誰もが一度は耳にした大きな危機。 人類はそのたびに痛みを受けながらも、制度を強くし、知恵を積み重ね、危機への対処法を学んできた。
今では情報が瞬時に飛び交い、金融商品は多様化し、投資の裾野はかつてないほど広がっている。
それでも、金融危機はこれからも“予想しない場所”から必ずやってくるだろう。
ただ、毎月決まった給料が入るサラリーマンである限り、危機は必ずしも恐れるだけの存在ではない。 暴落の最中でも買いに向かう勇気があれば、その危機こそが“最強のサラリーマン投資家”をつくる。
歴史は繰り返す。
けれど、そのたびに世界も、そして私たち個人も、少しずつ強くなっていくのだと思う。


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