
普段使わない天王洲アイル。いや、むしろ初めて利用したかもしれない。駅に降り立ち、地図アプリを使うも、そこは5差路。右?左?それともまっすぐ?なかなか反応しないアプリを横目に一定方向へ人の流れが出来ていた。
その中には赤い着物を纏った女性がいた。まわりは背の高いオフィスビル。幅の広い道路には車がひっきりなし。ゆっくりと優雅に歩くその姿は、とても際立っていた。
人の流れに沿って進むことにした。幸い、アプリナビも同じ方向を示してくれた。
遠くに見えていた赤い着物の女性も、目的地近くまで来るとすぐ目の前に迫っていた。どうやら、僕と同じく浮世絵を見に来たようである。
そして、建物に入る直前、「お先にどうぞ」と言ってくれた女性は日本の方ではなかった。やわらかいトーンで、流れるような手運びは、日本のことが好きなんだろうなと思わずにはいられなかった。
動く浮世絵。どんなものだろう?と興味津々で乗り込んだ。正直、浮世絵って葛飾北斎の名前くらいしか知らなかった。
しかしそこには、人物画を得意とする人、街道沿いを描く人、奇想天外な絵を得意とする人など、知らない世界がそこには満載だった。
そして、まるでディズニーの映画でも見ているように浮世絵の世界が表現されていた。時には映画のように、時には、窓ごしに風景を眺めるような感じで四季折々の世界を。
その中にあって、僕が注目したのは、動かない浮世絵だった。通路のようなところに飾られて、スポットライトもなく、普通なら素通りしてもおかしくない。壁が寂しくならないように何枚も飾ってあるんだろうなと思わせるような感じで。
それは、昼間から男数人で富士見をしながら、お酒を交わしている絵だ。きっと、この男の人たちは、場所の選定から、誰が何を持参するか、仕事はいつ都合つけられるのか。ひょっとしたら、天候の心配までしていたかもしれない。遠くにどっしりと構える富士山のずっと手前で、はしゃいでいる様子が描かれている。
ゆるぎない安定した暮らし。それが長く続くことによって文化が栄える。文化の繁栄は脅かされる驚異がないことが条件なのかもしれない。 中に描かれている登場人物、またそれを描いた葛飾北斎のこの1枚の浮世絵からそれらを感じた。
そう言えば、江戸時代の着物は柄や色を厳しく制限されていた。地味な色しか纏うことを許されないこともあって、”茶”だけでも48色以上、100色以上の”鼠色”があったそうだ。あの艶やかな赤い着物を纏った女性が、もし江戸時代に着ていたら、「もっと地味なものにしなさい」と指導が入っていたに違いない。 😁
